「お母様は真の愛と真の血統を持っていません」という恣意的引用

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「お母様は真の愛と真の血統を持っていません」という恣意的引用


https://trueparents.jp/?page_id=4046より
(1)サンクチュアリ教会に追従する澤田地平氏の誤ったみ言解釈

澤田地平氏は、「お母様は真の愛と真の血統を持っていません」という真のお父様のみ言の一部を引用し、「韓鶴子女史が『神様の娘として』来られた」という考え方を批判、否定しています。
 み言と教義から完全に逸脱し、非原理化が甚だしい集団の批判に対しては、本来ならば回答や反論をする必要もないと考えるものですが、教会員の皆さまに「重生」の意味や真のお母様の位相を正しく知っていただくために、澤田地平氏の指摘の誤りに対して以下、解説していきます。
 澤田氏が引用するお父様のみ言は、次の内容です。

 「そういうふうにして、真の母の腹を通過して再び生まれてくるのです。これに、入ってくる時は左のほうから入ってくるのです。分かりましたか? なぜ左のほうから入るのかというと、お母様が左のほうだからです。入ってきてお母様の腹の中に入ったとしても、その入った子供とお母様の根っこは何かというと、渋柿の根っこから切って取り返してきたものです。分かりますか? それが天の家庭に入るには、手続きをしないといけないのです。何の手続きかというと、愛の手続きです。だから、真のお母様の腹の中に入っていても、それは真のお父様の真の愛と真の血統にはまだつながっていないのです。お母様は真の愛と真の血統を持っていません。向こうのほうなのです。それは、新婦の立場で、新郎を迎えて一つになるということです。分かりましたか? 分かりましたか?」(『訪韓修練会御言集』185~186ページ1993年12月20日)

 澤田地平氏は、以上のように、お父様のみ言のある一部だけを引用したうえで、以下のように自分の考えを述べています。

 「ここに『お母様の根っこは何かというと、渋柿の根っこから切って取り返してきたものです』及び『お母様は真の愛と真の血統を持っていません。向こうのほうなのです』とあり、文鮮明師は韓鶴子氏が神の血統に属する無原罪の娘として生まれたとは考えていないことが分かります」

 しかし、澤田氏のこの主張は、お父様のみ言を〝誤って解釈〟したものです。澤田氏に限らず、UCI(いわゆる「郭グループ」)を支持する人々においても、このみ言を誤って解釈し、真のお母様が「神の血統」をもって生まれてこられたことを否定しています。

(2)お父様は「図-1」に従ってみ言を語っておられる
①お父様が書かれた『訪韓修練会御言集』181ページの「図-1」
 ところで、澤田氏が引用したお父様のこのみ言は、「真の父母と重生」というテーマで、お父様が1993年12月20日に、韓国・済州島において、日本人の女性信者を対象に語られた内容です。このみ言は『訪韓修練会御言集』という書籍に収録されています。
 このみ言の部分を読むにあたって、私たちが留意しておかなければならないことがあります。それは、このみ言が同書籍の181ページに記載された「図-1」に基づいて、お父様ご自身が、その図を具体的に指し示しながら語られたみ言であるという点です。したがって、このみ言を読むときは、以下に示す181ページの「図-1」を見ながら読み進めていかなければ、「勝手な決めつけ」となり、お父様が意図された意味と異なった解釈をする恐れがあります。
 まさに澤田氏が述べている上記の主張は、お父様の意図する内容と異なった「勝手な決めつけ」となっており、み言全体の主旨から大きくかけ離れています。その点について以下、説明していきます。

 お父様が語られたこのみ言は、すべての人間(人類)は、真のお母様の「腹の中」を通過して生まれ変わらなければならないという、家庭連合の教え・統一原理の「重生論」について語っておられる内容です。

②「重生論」の要旨について
 そこで、まず、この「重生」という教えの理解を助けるために、『原理講論』の「重生論」から、〝重生〟に関する説明の部分を引用しておきます。

 「イエスは……新たに生まれなければ、神の国を見ることはできないと言われた。重生とは二度生まれるという意味である。では、人間はなぜ新たに生まれなければならないのであろうか。……(人間始祖)アダムとエバが創造理想を完成して、人類の真の父母となったならば……子女たちは原罪がない善の子女となり、地上天国をつくったであろう。しかし、彼ら(注、アダムとエバ)は堕落して人類の悪の父母となったので、悪の子女を生み殖やして、地上地獄をつくることになったのである。したがって、……堕落した人間は原罪がない子女として新たに生まれ直さなければ、神の国を見ることができないのである」(263~264ページ)
 「我々を生んでくださるのは、父母でなければならない。それでは、堕落した我々を原罪がない子女として生んで、神の国に入らせてくださる善の父母は、いったいどなたなのであろうか。原罪のある悪の父母が、原罪のない善の子女を生むことはできない。したがって、この善の父母が、堕落人間たちの中にいるはずはない」(264ページ)
 「ところで、父は一人でどうして子女を生むことができるだろうか。堕落した子女を、善の子女として、新たに生み直してくださるためには、真の父と共に、真の母がいなければならない」 (264~265ページ)

 以上のように、『原理講論』は、重生とは「二度生まれる」(生まれ変わる)ことであると定義しています。それは、人間始祖アダムとエバの堕落によって人類が過って生まれ「堕落した子女」となったために、再び「善の子女」として生まれ変わる、すなわち「重生」するためには、「真の父と共に、真の母がいなければならない」というのが、『原理講論』の説く「重生論」の教えの〝基本中の基本〟です。
 お父様は、『原理講論』が論じるこの「重生論」に基づき、1993年12月20日、韓国の済州研修院で、「図-1」を用いながら詳しく解説されたのです。

③「図-1」を無視し、恣意的解釈をする澤田氏
 澤田氏の問題点は、お父様のこのみ言の部分が、「図-1」に基づきながら語っておられることを踏まえずに、自分勝手に解釈していることです。このみ言は、「図-1」に従って語られているみ言であることを踏まえるならば、澤田氏のように、中途半端な部分から引用を開始するのではなく、その直前の段落部分から引用を開始するというのが通常の引用の仕方です。すなわち、澤田氏が引用していない直前の部分において、お父様は以下のように語っておられます。

 「逆に過って生まれたのだから、蕩減は反対の方向へ行くのです。生まれるのも反対の方向にこういうふうに生んできたので、(図-1Ⓐ参照)これは、サタン圏を全部勝利した後で、サタンがいないのです。だから『逆に帰れーっ!』と。そういうふうに再び生んだものが(図-1Ⓕ参照)、地上天国です(図-1Ⓖ参照)。分かりましたか?(はい)。そういうふうにして、真の母の腹を通過して再び生まれてくるのです(注、太字ゴシックにした部分が、澤田氏が引用を開始した部分になる)

 『訪韓修練会御言集』に(図-1Ⓐ参照)(図-1Ⓕ参照)(図-1Ⓖ参照)等々と明記してあるように、お父様は181ページの「図-1」を具体的に指し示されながらみ言を語っておられるのです。
 ここで、お父様が「真の母の腹を通過して……」と言われるのは、「図-1」「真の父母」と書かれた言葉の「矢印」が指し示した二つの線が交差した点を囲んだ小さな円の部分について語っておられるのです。つまり、その小さな円が「真の母の腹の中」を意味しているのであって、その部分を「……通過して……」と語っておられるのです。
 それゆえ、お父様が、「母の腹の中」に入るときに「左のほうから入ってくる」と語っておられるのは、「母の腹の中」を意味する小さな円よりも、「図-1」のⒶの地点が左側にあり、その左のほうから円の部分である「真の母の腹」の中に入ってくることを、具体的に説明しておられるのです。

 そして、澤田氏が引用していない次のページで、お父様は「母の腹の中を通して、先生の体を通して、再びお母様の腹を通していくのです。右のほうを通してです」(『訪韓修練会御言集』186ページ)と語っておられますが、その意味は、右の「拡大・補足した図」を見れば分かるように、左のほうから入った子女(人類)が、まず「母の腹の中」の太くした線の部分を通過して、それから二つの線が交差する点(注、ここが父の体、「父の種(骨髄)」を意味する)を通過した後、「再び、母の腹の中」を通過して、右のほうのⒻの地点へと抜けていくことを説明しておられるのです。
 それゆえ、お父様が黒板に書かれた「図-1」の図には、Ⓕの下向きの矢印線のところに「再び生む」という言葉が記してあるのです。このような過程を通過して、子供(人類)は重生されていくのだと言われるのです。
 すなわち、「母の腹の中」に入るときには、左のほうから入ってきて、父の体(骨髄=二本線が交差する点)を通過した後、再び同じく「お母様の腹(の中)を通して」生まれ変わり、今度は、母の腹の「右のほうを通して」(同)出てくると語っておられるのです。

(3)「図-1」に従って説明されたお父様のみ言の真意
 そこで、子供(人類)が〝重生する〟ことについて、誤解のないように、澤田地平氏が引用していない部分を含めて、澤田氏が引用した部分に対し、「図-1」の図に従いながら、補足の言葉を〈 〉内に加えて述べると、以下のようになります。(注、澤田氏が引用している部分については、太字ゴシック体にして表記する)

 「逆に過って生まれたのだから、蕩減は反対の方向へ行くのです。生まれるのも反対の方向にこういうふうに生んできたので、(図-1Ⓐ参照)これは、サタン圏を全部勝利した後で、サタンがいないのです。だから『逆に帰れーっ!』と。そういうふうに再び生んだものが(図-1Ⓕ参照)、地上天国です(図-1Ⓖ参照)。分かりましたか?(はい)。そういうふうにして、真の母の腹〈小さな円の中〉を通過して再び生まれてくるのです。
 これに、入ってくる時は〈図-1のⒶの地点の〉左のほうから入ってくるのです。分かりましたか? なぜ左のほうから入るかというと、お母様〈の腹の中に入る部分〉が左のほうだからです。入ってきてお母様の腹の中に入ったとしても、その入った子供とお母様の根っこ〈の状態〉は何かというと、〈まだ「父の体」を通過していない時点であるため、その子供は〉渋柿の根っこから切って取り返してきた〈状態の〉ものです。分かりますか? それが天の家庭に入るには、手続きをしないといけないのです。何の手続きかというと、〈真の父と真の母による〉愛の手続きです。だから、真のお母様の腹の中に入っていても、それは〈二つの線が交差する点を通過する前であって〉真のお父様の真の愛と真の血統にはまだつながっていないのです。お母様〈お一人で〉は真の愛と真の血統を持っていません。〈その母の腹の左側は、Ⓐの地点の側にある〉向こうのほうなのです。〈重生する〉それは、新婦の立場で、新郎を迎えて一つとなるということです。分かりましたか? 分かりましたか?(はい)。
 全世界〈の子女たち〉がここ〈母の腹の中=小さな円〉に入ってきて、それからどうなるかというと、真の父母の夫婦関係によって、はらんだ子供、その者を、真のお父様の真の愛を中心に、真の子供の種を持ったお父様が愛の関係を結ぶこと〈を意味する二つの線が交差する点〉〈通過して〉〈真の父と真の母による愛の関係を〉実感したあとに生まれたと同じようになるのです。そのような期間を通過しながら、お母様の腹の中に入った子供たちが……真の父母の愛と〈真の父の〉真の子供の種と接ぎ木したという、〈交差する点を通過した時点で〉つないだということになるのです。分かりますか? こっちは本物で、こっちは偽物で、(先生がしぐさされる)兄さんと弟と同じです。分かりましたか? そういうふうに一つとなった状況をもって、それはずーっとこれを回って、〈まず左側の〉母の腹の中を通して、〈それから交差した点である〉先生の体を通して、再びお母様の腹〈の右側のほう〉を通して〈生まれ変わって出て〉いくのです。右のほう〈の母の腹〉を通してです。
 〈このようにして、真の父と真の母を通じて〉国家的お母様の腹、氏族的メシヤのお母様、家族的メシヤ、復帰された160の家族メシヤの基台に行って再び生むことになるのだから、サタンの血統とは全然関係がないのです。別個の天的本来の真の父母から出発した子女の立場に立つのだから、天上、地上天国に、お母様と真の父母によって、入ることができるのです(注、括弧〈 〉の中の言葉は、理解を助けるために補足したもの)

 以上のように、お父様は、『原理講論』の「重生論」で、「堕落した人間は原罪がない子女として新たに生まれ直さなければ、神の国を見ることができないのである。我々を生んでくださるのは、父母でなければならない。……堕落した我々を原罪がない子女として生んで、神の国に入らせてくださる善の父母は、いったいどなたなのであろうか。……父は一人でどうして子女を生むことができるだろうか。堕落した子女を、善の子女として、新たに生み直してくださるためには、真の父と共に、真の母がいなければならない」(264~265ページ)と論じている部分を、「図-1」を用いながら説明しておられるのです。
 お父様は、このみ言で、真のお母様(韓鶴子女史)に原罪があるか否か、あるいは堕落の血統なのか否か、という点について語っておられるのではなく、どこまでも「真の父」と「真の母」のお二人によって堕落人間(子女)が生み変えられていくその過程(重生)について、「図-1」を用いながら語っておられるのです。
 それにもかかわらず、澤田地平氏は、お父様の書かれた「図-1」を完全に無視して読んでおり、しかも、文脈を無視してある一部分だけを切り取って、お父様が意図するみ言の意味とは全く異なった解釈をしているのです。

 澤田氏が引用したみ言の部分を見ると、お父様は、まず、「真の母の腹を通過して再び生まれてくるのです」と〝重生〟の前提について語られ、それから、「入ってきてお母様の腹の中に入ったとしても……」と述べられた直後で、「その入った子供とお母様の根っこは……」と語っておられます。これは、「母の腹の中」に入った子供(人類)が重生されていく〝過程〟や、その〝状況〟について語っておられるものです。その「母の腹の中」に入るという場合、お母様(韓鶴子女史)ご自身が、ご自分の「母の腹の中」に入ることはできません。したがって、この部分は、どこまでも「図-1」を指し示しながら語っておられるお父様のみ言であることに留意し、読んでいかなければならない部分なのです。

(4)お父様が語られる「血統の連結」の概念について
 そして、お父様は、このみ言の部分のすぐ後で、「天の家庭に入るには、手続きをしないといけないのです。愛の手続きです。だから真のお母様の腹の中に入っていても、それは真のお父様の真の愛と真の血統にはまだつながっていないのです」と語っておられます。これは「図-1」にある小さな円の中(注、母の腹の中)に入ったとしても、その子供は、まだ交差する点(父の体)を通過していない前の状態にいるため、まだ「天の血統」につながっていないと語っておられるのです。なぜなら、後述するように、「血統」は父と母のお二人によって連結されるものだからです。
 すなわち、お父様は、「重生」の過程において、子供が真のお母様のお腹の中に入った状態のままでは、まだ「渋柿の根っこ」から切って取り返してきた状態のままに過ぎないと述べられ、それゆえ、「天の家庭に入るには」、真のお父様の真の愛と真の血統につながる「愛の手続き」をしないといけないと語っておられるのです。
 さらに、澤田氏が取りあげた「お母様は真の愛と真の血統を持っていません」の部分についても、澤田氏は恣意的な解釈をしています。
 お父様は、「血統」の概念について、次のように語っておられます。

 「血統は夫婦が愛するその密室、奥の部屋で結ばれるのです。……精子と卵子が出合って生命体として結合するとき、血統が連結されるのです」(『ファミリー』1995年3月号、22ページ)

 以上のように、お父様が述べておられるように、「血統」は父と母の二人によってつながるものです。血統の連結は、父一人でも、母一人でも生じることはありません。そのような理解に基づいて、誤解が生じないように補足して述べるならば、「お母様〈お一人で〉は真の愛と真の血統を持っていません」という意味で語っておられるみ言なのであり、「お母様は堕落人間の血統である」という意味なのではありません。

 結局のところ、澤田氏が引用したお父様のみ言は、すでに前述したとおり、「重生」の過程について「図-1」に従って読んでいかなければならないみ言の部分なのです。ところが、澤田氏は、引用した部分を、理解不足の上、自分勝手に読んで解釈をしており、お父様の意図とは異なった、自分たちの主張に都合良く、恣意的な解釈をしているものに過ぎません。
 また、澤田氏は、「新婦の立場で、新郎を迎えて一つとなるということです。分かりましたか?分かりましたか?」という部分までしか引用していませんが、その後の、澤田氏が引用していないみ言の部分で、お父様は、「新婦の立場で、新郎を迎えて一つとなるということです。……真の父母の夫婦関係によって、はらんだ子供、その者を、真のお父様の真の愛を中心に、真の子供の種を持ったお父様が愛の関係を結ぶことを、実感したあとに生まれたと同じようになるのです。……真の父母の愛と真の子供の種と接ぎ木したという、ついだということになるのです」(186ページ)と語っておられ、小さな円(注、母の腹の中)にある交差している点(注、父の体=骨髄)を通過した後の状態について語っておられます。
 「重生」の過程において、まず、子供(人類)が真の母のお腹の中(注、小さな円)に入っただけの状態では、まだ夫婦関係を結んでいない状態であるために、それは、真のお父様の真の愛と真の血統につながっていない状態なのであり、「真の父母の愛と真の子供の種に接ぎ木」されていない状態にあるという意味なのです。これが、お父様が書かれた図解の「図-1」に基づいて語っておられるみ言の文脈から見たときの、お父様が語っておられる真意なのです。
 決して、澤田氏が批判するような、「文鮮明師は韓鶴子氏が神の血統に属する無原罪の娘として生まれたとは考えていないことが分かります」という意味なのではありません。
 事実、「母の腹の中」を、図解にある通りに、Ⓐの地点である左から入って小さな円を通過して、右から出ていく過程を通して行きながら、その子供(堕落人間)は〝重生〟されて神の血統になっているのです。
 それゆえ、お父様は、子供が「母の腹の中」を通過して出て来たその〝結論の部分〟で、「国家的お母様の腹、……再び生むことになるのだから、サタンの血統とは全然関係がないのです。……天上、地上天国に、お母様と真の父母によって、入ることができるのです」(186ページ)と結論づけて語っておられます。この結論の重要な部分を、澤田地平氏は引用していません。このように、澤田氏の引用の仕方は、恣意的で非常に問題の多いものと言わざるを得ません。

(5)真のお母様は「独生女」(独り娘)である
   ―1960年の「約婚式(佳約式)」や「聖婚式」は、お母様の原罪清算の儀式ではない
 ところで、お父様は、お母様(韓鶴子女史)を「堕落していない純粋な血統をもって生まれた方」であるとして、次のように語っておられます。

 「再臨主は何をしに来られるのでしょうか。再臨時代は完成基準の時代であるために、再臨主は人類の母を探しに来られるのです。すなわち、新婦を探しに来られるのです。新郎であられる主がこの地上で探される新婦は、堕落圏内で探す新婦ではありません堕落していない純粋な血統をもって生まれた方を探すのです。それでは、そのような新婦、すなわちその母とは、どのような基盤の上で生まれなければなりませんか。堕落した世界のアベル的な母の基盤の上で生まれなければならないのです。……祝福のみ旨を果たすことのできる、罪の因縁とは全く関係のない処女として、母(真のお母様)の立場に立つことができなければならないというのです」(『祝福家庭と理想天国(Ⅰ)』909ページ)

 以上のように、お父様は、再臨主が探される新婦(真の母)は、「堕落圏内で探す新婦ではありません。堕落していない純粋な血統をもって生まれた方を探す」と語られ、お母様(韓鶴子女史)が「堕落していない純粋な血統をもって生まれた方」であるとして、生まれながらに「純粋な血統」であると明確に述べておられます。さらには、「罪の因縁とは全く関係のない処女であるとも語っておられるのです。
 ここで、お父様が「罪の因縁とは全く関係のない処女であると語っておられるのは極めて重要です。
 なかには、お母様が「約婚式(佳約式)」や「聖婚式」をされたときに原罪を清算され、神の血統になったと主張する人がいます。しかし、もし、「約婚式」や「聖婚式(結婚)」をすることで原罪が清算されたとするならば、お父様が「処女」と言われることはあり得ません。お父様が「罪の因縁とは全く関係のない処女であると言われるからには、お母様は約婚式、聖婚式をされる前、すなわち生まれたときから「罪の因縁とは全く関係のない処女であるということになります。
 そればかりでなく、『原理講論』は、「父は一人でどうして子女を生むことができるだろうか。堕落した子女を、善の子女として、新たに生み直してくださるためには、真の父と共に、真の母がいなければならない(264~265ページ)と論じています。すなわち、重生するには「真の父」と「真の母」のお二人が必要なのです。もし、お母様が、約婚や聖婚をされたときに原罪を清算し、初めて〝神の血統〟に生み変えられたとするならば、それは〝父一人〟で生み変えたことになるため、原理が説く「重生論」と相容れないのです。それゆえ、お母様は、約婚や聖婚される以前から〝神の血統〟であったとの結論に帰結するのです。
 さらに、お父様は、韓鶴子女史を「根が違う……神様を根として初めて歴史上に……現れた主人公」であるとして、次のように語っておられます。

 「統一教会の文先生を、何と言いますか。(「真の父母様。」)真の父というでしょう? ここにいる韓鶴子氏は?(「真のお母様。」)真の母だというでしょう? (「はい。」)真の父だというでしょう?(「はい。」)いくら見ても目も二つ、鼻も同じなのに、何が違いますか? 根が違うのです根が皆さん方は、サタン世界の堕落した父母を通した堕落の根を生まれ持ちましたが、統一教会の文某とここにいる文鶴子、文鶴子(文学者)でしょう? 世界に文学者(注、韓国語で文鶴子は発音が同じ)があまりに大勢いてはいけないので、韓鶴子、たった一人の(ハン)鶴子…。鶴子様は根が違うというのです。神様を根として初めて歴史上に真なる愛の論理を中心とした統一論理をもって現れた主人公だというのです」(マルスム選集148-40~41、1986.10.4)

 このように、お父様は「統一教会の文某とここにいる韓鶴子……たった一人の鶴子、鶴子様は根が違う」と語られ、韓鶴子女史が神様を根として……現れた主人公」であると明確に述べておられます。
 その他にも、お父様は、お母様(韓鶴子女史)が、堕落していない純粋な血統をもって生まれた方であると述べておられ、韓鶴子女史が「神様を根」とした血統をもって生まれて来られたことについて、さまざま語っておられます。み言は、神様と完全一体になられたお父様から出てきたものであって、そこに矛盾はありません。
 以上のように非原理集団に追従する澤田地平氏が、〝お母様批判〟のために述べた部分は、「図-1」の図解に基づかないで、澤田氏が恣意的に解釈しているものに過ぎません。

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