真の父母・・天国の門
地獄が二つあります。地上地獄、天上地獄がありますが、
天国の門は一つです。
地獄の門が開くからといって、地上から天国に直接入っていくのではありません。
真の父母を通して入っていくのです。
真の父母を通して入っていく門が、一つの天国の門です
(八大教材・教本『天聖經』二二〇一ページ)
人類が偽りの父母から出発したので、天国の門を開いて入るには、真の父母が出てこなければなりません。
神様も、自ら天国の門を開くことができません。
神様が自ら天国の門を開くことができるなら、そのような能力がある方が、なぜしないでしょうか。
堕落は、人間がしたために、罪を犯した人間が罰を受けなければなりません。
人間が天国を失ってしまったから、人間が取り戻さなければならないのです
(八大教材・教本『天聖經』六七八ページ)
天国の門は一つであり、それは「真の父母」です。
前述したみ言に「すべての出発は、真の父母からです。
あらゆるものの出発、最初は、皆さんではなく真の父母です。
生きるのも、行動するのも、愛の家庭を連結するのも同様です。
最初は真の父母です」
とあるように、私たちは全ての始まりの基準を「真の父母」に置くべきです。
ある人は、子女様の願いを受けて、
「自分こそが父母様と子女様の間を執り持つのだ」と主張しています。
しかしそのような言動は、出発点、軸を子女様に置いているのであって、
「真の父母」に置いてはいません。
その言動は〝天の願い〟からずれているということを理解しなければならないでしょう。
かつて、真のお父様は、顯進様に従う人たちを「郭グループ」と表現され、
「従う人たちの話を聞いて、子女が親の下に来ない」と語られ、怒りを露あらわにされました。
真のお母様も、サンクチュアリ教会問題が起こったとき、
「万が一にも、あれこれ言いながら『少し助けてあげよう』と(誰かが)言っても、それに対して揺らいではいけません。
(子女様を)助けてあげないことが助けてあげることです」
(『トゥデイズ・ワールド ジャパン』二〇一五年陽暦九月十日号、四ページ)と語られました。
「真の父母」と一体となっておられない子女様に従う人は、結果的に真の父母様の息子を奪った張本人となり、
真の父母様と子女様の間を裂く者となってしまうのです。
その事実を、私たちは客観的、かつ冷静になって見詰め直し、
ヨシュアの路程で論じられているように、
「イエスに仕える十二人の弟子たちが、一つの心で一つの目的に向かい、一つの所で一致団結してこそ、
世界的カナン復帰を完成して、神の全能性を永遠にたたえることができるということを、予示してくださった」
という〝天国実現の道〟を見詰め、み旨に邁進しなければなりません。
●「メシアは真の父母です」 (8大教材教本天聖経192ページ)
●「メシアとは誰でしょうか。『真の父母』です。」
(真の御父母様の生涯路程4 第4章 真の父母の聖婚と第一次7年路程)
●「メシアは何であるかと言うと、『真の父母』のことです。」 (愛天日1984年5月20日)
●「メシアは『真の父母』である」(8大教材教本天聖経191ページ)
●個人的なメシアでは 世界を救うことはできません。
世界を救おうとすれば、家庭的なメシアにならなければなりません。
●メシアは父母であって 個人ではない 1993年1月10日
●メシアというのは、真の父母のことです。 真の父母とは、完全な人間であるということです。
●「メシアは真の父母として来なければなりません。」 (8大教材教本天聖経176~177ページ)
●メシア思想の核心は・・真の父母の立場を取り戻すことです
(2001年1月22日のみ言)
● メシアとはどんなお方かと言うと、真の父母です。
(祝福家庭と理想天国第3節真の父母と真の子女622ページ)
●真の父と共に、真の母がいなければならない。
(原理講論 第七章キリスト論 第四節 重生論と三位一体論)
●メシアは人類の真の父母として来られなければならない。
(原理講論 後編 緒論)
●イエス様は母なる神なしに完全な救い主になれない:牧会者の道
●私(文鮮明師)と韓鶴子女史は、
人類の真の父母であり、救世主・再臨主であり、メシアであると宣布します (1992年8月24日 第一回世界文化体育大典 合同晩餐会)
お母さまがお父様に代わって、メシアになろうとしているのではなく、 すでに、お父様も お母さまも、2人がメシアである。