お母様はいつ無原罪になったのか
お母様に原罪があったら、「いつ血統転換されたのか?」が永遠の謎となる
『原理講論』の「終末論」には、「キリスト教が他の宗教と異なるところは、全人類の真の父母を立てて、その父母によってすべての人間が重生し、善の子女となることによって、神の創造本然の大家族の世界を復帰するところに、その目的があるという点である」
(161ページ)と論じられています。
全人類が〝重生〟するには、必ず「全人類の真の父母」が立たなければなりませんが、
「真の父母」になるには、男性一人でなることはできません。
そこには、アダムの相対である女性(真の母)が必ずいなければなりません。
真のお父様は、
「(堕落によって)天の国の男性と女性、ひとり子とひとり娘を失ってしまったのです。
ですから、救いの歴史である復帰摂理歴史は、これを取り戻す歴史です」(『真の父母経』26ページ)、
「イエス様がひとり子だと語ったので、神様は彼のためにひとり娘も送られたでしょう。
神様の二千年の(キリスト教)歴史は、新婦を求めるための歴史です.
イエス様は、真の息子の姿で現れましたが、真の娘の姿がないので、神様のみ旨を成し遂げることができませんでした。
ですから、二千年のキリスト教の歴史は、娘(独り娘)を求めるための歴史です」(同、69ページ)
と語っておられます。
「神はアダムだけを創造したのではなく、その配偶者としてエバを創造された。
したがって、エデンの園の中に創造理想を完成した男性を比喩する木があったとすれば、
同様に女性を比喩するもう一つの木が、当然存在してしかるべき」(97ページ)
と論じています。
人類を〝重生〟するに当たっては、必ず「真の父」と「真の母」のおふたりがいなければなりません。
それゆえ、『原理講論』は、「父は一人でどうして子女を生むことができるだろうか。
堕落した子女を、善の子女として、新たに生み直してくださるためには、真の父と共に、真の母がいなければならない」(264~265ページ)
と論じています。

もし、真のお母様が、聖婚されたとき初めて〝神の血統〟に生み変えられたとするならば、それは〝父一人〟で生み変えたことになるため、「原理」が説く「重生論」と食い違うことになります。
それゆえ、お母様は、聖婚される以前から〝神の血統〟であったと考えなければなりません。
もし、真のお母様が、ご聖婚前には「原罪」を持っておられ、〝サタンの血統〟であったとするならば、父は一人で生み変えることができないのにもかかわらず、お母様は、いつ、どのようにして〝血統転換〟されたのかが、永遠の謎となってしまいます。
事実、父は一人で生み変えることができないために、真のお父様は「真の母」が立たれる一九六〇年まで、血統転換である「祝福結婚式」を一切、行ってこられませんでした。
そして、「真の母」が立たれてからは、数多くの「祝福結婚式」を挙行していかれたのです。
真のお父様は、ご聖婚前から、真のお母様が「堕落する前のアダムと共にいたエバ」「堕落前のエバ」「堕落していないエバ」であるとして、次のように語っておられます。
「再臨の主が来られるときには何の宴会が催されると言いましたか。
(「婚姻の宴会です」)
……婚姻の宴会とは結婚の宴会です。そうですね。(「はい」)
こんな話をすると異端だと大騒ぎをします。(キリスト教徒は)
無性にねたましくなるのです。
婚姻の宴会、すなわち小羊の宴会をしようとするならば、イエス様の新婦が必要です。
新婦を探し出さなければならないのです。
その新婦とは誰かというとエバなのです。堕落する前のアダムと共にいたエバなのです。
再臨の主は三人目のアダムです。
イエス様は二人目のアダムであり、その後来られる主は三人目のアダムなのです。
そして、三人目のアダムが堕落前のアダム
の立場で来て、堕落前のエバを探し出さなければなりません。
堕落していないエバを探し出して、小羊の宴会をしなければなりません。
結婚して人類の父母となるのです」
(『祝福家庭と理想天国(Ⅰ)』584〜585ページ)
このみ言に、「堕落前のエバを探し出さなければなりません。
堕落していないエバを探し出して、小羊の宴会をしなければなりません」
とあるように、真のお母様は、結婚(小羊の宴会)をされたために〝堕落前のエバ〟
〝堕落していないエバ〟になったというのではありません。
それとは反対に、「堕落前のエバ」「堕落していないエバ」を真のお父様が探し出してから、
結婚(小羊の宴会)をされると語っておられます。
真のお父様は、このように、真のお母様がご聖婚の前から堕落していないエバ、〝神の血統〟であられた事実を、明確に語っ
ておられます。
また、次のようなみ言もあります。
「世の中に一つの真のオリーブの木の標本を送ろうというのが、メシヤ思想です。
しかし、真のオリーブの木であるメシヤが一人で来てはいけません。
……メシヤが一人で来ては、真のオリーブの木になれないのです。
メシヤとしての真のオリーブの木と、メシヤの相対となる真のオリーブの木を中心として、
これが一つになってこそ、真のオリーブの木として役割を果たすのです」
(『永遠に唯一なる真の父母』68~69ページ)
「原理は何をいっているかというと、完全なるアダムが造られた場合には、
完全なるエバが復帰されるというのです。
完全なるプラスが現れた場合には、完全なるマイナスは自動的に生まれてくるようになっています。
それは創造の原則です。
……完全なる男性が生まれた場合には、完全なる女性が生まれるようになっているということを、
聖書では、女(エバ)はアダム(のあばら骨)によって造られたと象徴的に書いてあります」
(『御旨と世界』694ページ)
このように、真のお父様は、
「真のオリーブの木であるメシヤが一人で来てはいけません」
と語られ、「メシヤの相対となる真のオリーブの木」も来られる事実を語っておられます。
また、「完全なる男性が生まれた場合には、完全なる女性が生まれるようになっている」
のが〝創造の原則〟であるとも語っておられます。
さらに、真のお父様は、次のようなみ言を語っておられます。
「再臨主は何をしに来られるのでしょうか。
再臨時代は完成基準の時代であるために、再臨主は人類の母を探しに来られるのです。
すなわち、新婦を探しに来られるのです。
新郎であられる主がこの地上で探される新婦は、堕落圏内で探す新婦ではありません。
堕落していない純粋な血統をもって生まれた方を探すのです。
それでは、そのような新婦、すなわちその母とは、どのような基盤の上で生まれなければなりませんか。
堕落した世界のアベル的な母の基盤の上で生まれなければならないのです。
ですから、皆さんの母は堕落したエバの立場に該当するのであり、
次の母はイエス時代においてのマリヤの立場に該当するのです。
また、その次の母はイエス時代のマリヤの保護を受け、祝福のみ旨を果たすことのでき
る、罪の因縁とは全く関係のない処女として、母(真のお母様)の立場に立つことができなければならないというのです。
これをイエス様を中心として成就させようとしましたが、すべてを果たすことができず霊的にのみ連結されたために、
今日、復帰の終末時代に来て、これを再現させてもう一度一致させていく作戦を広げなければなりません」
(『祝福家庭と理想天国(Ⅰ)』909ページ)
このように、真のお父様は、再臨主が探される新婦(真の母)とは、
「堕落圏内で探す新婦ではありません。
堕落していない純粋な血統をもって生まれた方を探すのです」と語られ、
さらに「罪の因縁とは全く関係のない処女」であるとも語っておられます。
ここで、真のお父様が「罪の因縁とは全く関係のない処女」
であると語っておられるのは極めて重要です。
もし、真のお母様がお父様と「約婚」や「聖婚」をされることによって原罪を清算されたとするならば、お父様は「罪の因縁とは全く関係のない処女」と語られることはありえません。
真のお母様が語っておられる「独り娘」(独生女)のみ言は、真のお父様のみ言です。
お母様が、お父様のみ言に反して、かってに語っておられるのではありません。
お母様は、生まれたときから〝無原罪〟であられ、
かつ〝神の血統〟を持って生まれてこられたのです。
そして、今や真のお母様は、真のお父様と共に全てを勝利され、
霊界におられるお父様と共に、神のみ旨の成就のために地上摂理の最前線に立って歩んでおられます。
前述したように、真のお父様は、「今まで霊界では、神様が見えませんでした。
今、行ってみれば、霊界の父母の立場で、文総裁夫婦の顔が現れて、
きらびやかな光で見えるので、顔を見詰めることができないほど、まぶしくなるというのです。
そのような霊界に行った時にも、真の父母を否定しますか?
このように、はっきりと教えてあげたにもかかわらず、
神様を否定すれば、かちっと引っかかります」
と語っておられますが、真のお母様の独り娘(独生女)のみ言を批判し、
お母様をおとしめているサンクチュアリ教会およびUCIを支持する人々の言動は、
「かちっと引っかかります」と語られたお父様の警告のみ言に〝抵触〟しているものと言わざるをえません。
https://trueparents.jp/?page_id=3922より