文脈を無視した恣意的なみ言解釈「オモニは畑です」
サンクチュアリ教会では、以下のみ言を引用しながら、お母様は「有原罪誕生」であると主張しています。
「オモニを見ると血統が違います。血統で残るのは父子が残るのです。……オモニは畑です、畑。種は畑さえあればどこに植えてもいくらでも実を結ぶのです。ですから父子関係は血統が連結されているのです」(マルスム選集318-172、訳文は澤田氏のブログから)
まず、上記のみ言を見ると、お母様が「原罪を持って生まれた」と述べている箇所はどこにもありません。ただ、「オモニを見ると血統が違います」と述べておられるだけです。その後に続く内容も、「血統で残るのは父子」だと述べておられるに過ぎません。そして、お父様は、その具体例として、父と母と子の関係を、種と畑と実の関係として、自然の法則に基づいて説明しておられます。その中で、「種は畑さえあれば……実を結ぶ」と語られた点に注目しなければなりません。
この内容を逆説的に述べるならば、「種は畑がなければ実を結ぶことはできない」というように理解することができます。それゆえ、かえって〝畑の重要性〟を述べておられるみ言であるとも言えるのです。その後で、父の「種」と、母の「畑」さえあれば、「父子関係は血統が連結されている」と続けて語っておられる内容を見ても、そのことが明確に理解できるでしょう。
父だけでは子女に血統を連結させられないからです。すなわち、『原理講論』に「父は一人でどうして子女を生むことができるだろうか」(264ページ)とあるとおりです。父の「種」と、母の「畑」とが一つとなって、初めて子としての「実」を結ぶのであって、そうであるがゆえに「父子関係は血統が連結」すると述べておられるのです。
したがって、「オモニを見ると血統が違います」と語られているその主旨は、「原罪を持って生まれた」という意味ではなく、自然の法則から見てそれを説明するならば、〝父の種〟としての血統と、〝母の畑〟としての「血統が違います」という意味として理解すべきものなのです。
このみ言をもってして、お母様は「原罪を持って生まれた」という根拠のみ言とはなりません。これも、彼らの悪癖とも言いうる〝文脈〟を無視した恣意的解釈に過ぎません。
http://trueparents.jp/?page_id=4152より
【参考】
お母様の根は 渋柿(サタン)? 神様?
サンクチュアリ教&分派の み言 改ざん集 はこちら
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